偕楽園は、ただの公園ではありません。金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに「日本三名園」と称される、江戸時代の大名庭園の系譜における頂点のひとつです。1842年、水戸藩第九代藩主・徳川斉昭が自ら造営しました。「偕楽」の名は「衆と偕(とも)に楽しむ」に由来し、改革派として知られたこの藩主が意図して遺した理念の表明でもあります。斉昭は、学問と武芸を修める弘道館と、休息と静養のための偕楽園を対に構え、緊張と緩和の二つをもって、ひとつの治世の哲学を形づくりました。つまりゲストがいま立つこの地は、単なる造景ではなく、一人の藩主が「いかに生き、いかに治めるか」に与えた完全な答えを宿しているのです。
園の象徴は梅。約百品種・三千本の梅が千波湖畔に広がり、梅まつりは百二十年余り続いてきました。二月末の寒気のなか、白梅・紅梅が次々とほころぶと、台地一帯が淡い香りに包まれます。日本でいち早く春を告げる風景のひとつです。園内には斉昭自らが設計に関わった「好文亭」という木造建築があり、登れば梅林と湖の眺めを一望できる、庭園の物語の頂です。
提案者にとって、偕楽園の切り札は「梅を観る」ことではなく、この三名園のひとつを「一夜、我がものとする」ことにあります。園内の「見晴らし広場」は最大約三百名のパーティー会場として貸切ることができ、夜には照明演出を合わせれば、昼は人の行き交う公共の名園が、この一団だけのために灯された江戸の庭園へと変わります。企業イベントを「日本三名園」という称号と、百八十年の歴史の上に置くこと——それは、いかなる新設の会場でも得られない格と静けさです。