同僚がどういう人間か、もう分かっているつもりでいるはずです。あの海に入れてみると、もう一度知り直すことになります。
宮古の海は、少し現実離れした青さです。下を向けば、自分の影が何メートルも下の砂に落ちているのが見えます。マスクをつけてうつ伏せになったその一秒、耳のまわりの音がすべて消え、残るのは自分の呼吸だけになります。SUPのボードに立つ場面では、みんな笑っています。必ず誰かが落ちるからで、落ちた本人がいちばん大きな声で笑うからです。日が暮れてから洞窟に入り、明かりを消すと、水の音が岩壁のあいだを行き来してぶつかります。
岸に上がると、同じ砂浜が別の場に変わります。実物大の「カタン」が広げられ、普段の会議では一言も発しない人が、資源を交換し、条件を持ちかけ、同盟を結んではひっくり返す。ビーチ運動会で走り出せば、肩書きという殻はすっかり剥がれ落ちます。最終日には、みんなが腰をかがめて波打ち際に沿って拾い歩き、袋が少しずつ重くなっていきます。
拾っている途中で、誰かが自分から静かになります。二日間ひたっていたあの青と、手の中のこの袋は、もともと同じ一つのことだった、と気づくからです。
水の上から岸の上まで、遊ぶだけの時間からこの一段まで、受け止めているのは同じ一軒です——島でいちばん大きな一軒。ですからチームをいくつかに割り、別々の会社に分けて預ける必要がありません。朝から晩まで一緒にいられます。人数が多くても同じです。
会社に戻ると、あの青は彼らだけに通じる合言葉になります。「宮古島のあのとき」。次に会議で顔を合わせるとき、互いを見る目つきは以前と違っています——相手が海に落ちて、笑いながら這い上がってくるところを、お互いに見てしまったからです。