百人を連れて「日本文化を体験する」と、たいていは百人が立ったまま一人の実演を眺めるだけになります。
kurabiのやり方は、奈良をばらすことです。この街はもともと仏教と手仕事が千年ぶん沈んでいる場所で、彼らはそれを一つひとつの講座に切り分けました。人を静かにさせるものには、瞑想、写経、茶道。手を動かすものには、和菓子、味噌、奈良の木工。どれを、何時から、いくつの組に分けてやるかは、その一行の人数と日程に合わせてその場で組み上げます。
そうすると、同じ午後がこうなります。この部屋では誰も口をきかず、筆先が紙を押す音だけがして、一列に並んだ人が同じ一段を写している。隣では、手のひらが味噌を一層ずつ桶に押し込んでいて、匂いは塩辛い。その先では、鉋屑が木から巻き上がって床に散らばり、どの人の袖口にも木の粉がついている。二百人が数か所に散らばっていて、それでいて一人ひとりの手の中に、自分の仕事があります。
出張もできます。ホテルへ、寺院へ、会場の中へ。講座は会議日程の空いた時間にそのまま差し込めるので、大人数が行ったり来たりしなくて済みます。三日続けて会議をするチームなら、その合間の二時間ほどで足ります。
だから解散するとき、彼らが手に持っているのは、全員に配られた同じお土産ではありません。自分で一度失敗して、作り直した、その一つです。曲がって書けてしまったあの紙は、たぶん捨てられないはずです。木のあの平らでない縁が、どの一刀で残ったのかは、本人だけが知っています。会社に戻ってずいぶん経っても、それはまだ彼の机の上にあります。まだそこにあるのは、その日、彼が横に立って他人が作るのを眺めていなかったからです。